海外のホラー映画とマイホームの構造について

どのようなものに恐怖を感じるかという問題は、そのまま各国の文化的背景を反映する。海外では、ポルターガイストというか、「自分の家の中の家具が勝手に動く」みたいなホラー映画のジャンルがあることに気づく。せっかく苦労して手に入れた自慢の俺の家に、変なものが住み着いている。曲者は、退治せねばならん。そういう考え方がある。自分の財産、とりわけ固定的で自分のステータスを示す「住まい」に対しての愛着が日本より強いように感じられる。

日本は、木造の家屋が多く、ひとつひとつの空間が狭い。また、ふすまや布団といった移動可能な家具というのが多い。これは日本の狭い国土から派生した、生活の知恵だ。それに対してアメリカなどの家は、床面積がとても広く、頑丈で、部屋の壁は移動することができない。とても堅牢な作り。外部に対して閉鎖的、と言えるかもしれない。敵が入り込む余地がないのだ。そんな絶対不可侵な自分の聖域に、悪魔が潜んでいたらどう感じるか。結論として、ポルターガイスト系の洋画は、欧米人の「自分の家に対するプライド」の裏返しなのだ思う。
話はそれるが、棺桶というのもドラキュラ系のホラー映画ではよく出てくる。これも、ある意味では「死者にとっての絶対的なマイホーム」なんだよな。頑丈な監獄のようなイメージ。日本だったら、骨壷なんてホイホイ抱えて持ち歩けるもんな。

欧米では、「それぞれの人間がいるべき場所」の割り振りが決まっているのだ。
死者は死者の家に。俺は俺の家に。

<補足>
ちなみに、「アザーズ」という映画を見ていたら思いついたことです。